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南アフリカのマンデラは世界の帝王だった。

 投稿者:ねこ  投稿日:2013年 6月14日(金)12時49分26秒
  南アフリカのマンデラは世界の帝王だった。

http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p003.html#page124
http://book.geocities.jp/conspiracycalendar/02/Y02/jre027.html#0718

南アフリカの元大統領ネルソン・マンデラは、
世界の帝王だった可能性が高い。
第一次・第二次世界大戦はマンデラの誕生日に合わされていた。
(仮説を含む)
( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/01/p008.html )
 
 

(無題)

 投稿者:ゴンベ  投稿日:2010年12月 3日(金)18時36分26秒
   市議選が終わって、もう数週間がたつ。この間、ずっと何をどう言ったらいいのか、モヤモヤした気分が抜けないまま、時間だけが過ぎて行ったような気分にとらわれている。

 早いもので、私たち夫婦が松戸市から横浜に引っ越してもう7年が過ぎた。あと数年で横浜での仕事が終わり、また松戸に戻らなければいけない。自宅が新松戸にあるので。この横浜と松戸では、住民のみならず、自治体の役人たちの意識にもかなりの差がある、と実感している。ここを離れて、あの松戸市に戻らなければならない憂鬱。ただし、仕事はといえば、苦労と悪戦苦闘の連続だったが(今もまさにそのまっただ中だ)、それはまあ、仕方がない。

 吉野さんが落選した市議選の時の諸々のことが、今でも忘れられない。今回の佐藤さんの落選がそれとオーバーラップして、気分は最悪だ。
 あの時、私はかなり怒りにとらわれて、「吉野さんを落選させるような松戸市民にはほとほと愛想が尽きた」というような意味のことをこの掲示板に投書した。何と書いたかは、正確には覚えていないが、激情に駆られてとは言え、正直に言えば、実の所、これは私の今でも変わらない本音だ。

 その時、あちこちから私の発言に対して批判を頂いてしまった。「選挙民の判断に従うのが民主主義の本分だ」とか、「なぜ落ちたかを振り返って検討し、何がいけなかったのか反省すべき」とか言うものだ。
 それはそれでもっともな話だ。日本は議会制民主主義の国だし、それが多方面から色々考えても、今人類がとりうるベストの政治形態だからだ。効率が悪いだの、愚民政治に陥り安いだの、色々な批判はあるが、強力なリーダーに全ての権力を握らせてしまうような愚かな政治形態よりははるかにマシだからだ。
 理想に燃えて社会主義建設をめざす勢力が政治権力を握っても、結局の所は、人間が本源的に持っている欲望が何よりも優先してしまい(時には本人すら自覚のないままに)、それを実現するために自分の手元に集めた強大な権力を縦横に振り回すことになってしまう。
 その典型的な例がスターリンであり、毛沢東であり、今まさに近隣諸国に脅威を与え続けている金正日だ。結局人間とは、自分の手に強大な権力を握ってしまうと、己のやりたいようにやるという状態に陥いるのが、生まれ持った性のような生き物なのだ。
 またあるいは、もっと根元的にというか、自分だけは人より裕福な生活をしたいとか、他者よりもずっと優越した地位や権限が欲しいと思うような欲望を抑えることができないというやっかいな面も持っている。他者に優越したいという強烈な欲望。こんな人間に権力を握らせてしまったら、もうどうすることもできない。
 潜在的には、どんな人間にも多かれ少なかれ、こういう意識は必ずある。普段の我々の生活では、それが顕在化しないだけの話だ。この民主主義社会では、そんな欲望を顕在化させるチャンスなど(経済的格差を除いては)、ほとんどないからだ。
 こうして、とどのつまりは個人独裁という恐怖政治になってしまった例を、現代史の中で飽きるほど見せつけられてきたわけだから、議会制民主主義がいかに効率が悪くても、そうそうこの制度を捨てるわけにはいかないことは、既に自明の理というべきものだろう。

 しかしながら、この議会制民主主義を本来的に機能させていくためには、選挙民が、どうすればよりよい社会を作ることができるのか、という自覚が必要なのはこれも自明の前提なのではなかったのか。それなしには、議会制民主主義という制度は、まさにイコール愚民政治に他ならなくなってしまう。

 独断で言いきってしまうが、少なくとも、過去50年以上に渡る自民党政権の歴史は、まさにその愚民政治のオンパレードと言っていいものだったと私は考えている。
 特に、私が未だに脳裏に鮮明に記憶している、あの国民的英雄に近い状態にまで持ち上げられた田中角栄という、「越後の出稼ぎ」男が日本中にまき散らした害毒は、彼がいかなる業績を上げていたとしても(確かにやたら人気はあったが、彼はそれほど大したことをやったのか。ロッキードから賄賂を貰ってバレたのが最大の功績じゃないのかと私はひそかに思っている)、絶対に容認できるものではない。
 彼は、自分で「イチゴの出稼ぎ」などと言いつつ、新潟県にのみ集中的に公共事業を誘致して、最盛期には、日本でも首都圏くらいにしか整備されていなかった道路整備(もちろん道路だけにとどまらない。あらゆる公共事業を新潟県に投入した)を巨額の金をかけて実行し、新潟県を出て他の県に入ったとたん、道路が狭くでこぼこになってしまうというような、信じられないような格差を公共事業でやってのけていたにもかかわらず、国民はそれを何の批判もなく受け入れていたのだ。
 私は自分の故郷(福島県会津地方)に帰る度に、田舎に残った友人から、悔しそうに、「福島県からも、角栄くらいの有力な議員を出さないと、福島県はどんどん取り残されてしまう」等という愚痴を何度も聞かされていた。おそらく、新潟県を取り巻いている各県の住民たちも、この友人のような思いを味わい続けていたのだろうと思う。
 しかし、である。こんな、一人の有力な政治家が出たと言うだけで、その政治家の地元だけは、いい目を見ることができるというような政治がまかり通る社会が、果たして民主主義社会と言えるのか。

 自民党は、その後もずっと、こういう発想の政治の牙城であり続けた。
 国鉄の問題もそうだ。国鉄民営化の直前、国鉄の赤字は巨額に登った。その一番大きな原因は、代々の政治家たちが、自分の地元の選挙民の歓心を買うために(中には己の懐になにがしかのキックバックを貰うことを意図して)、元々採算など度外視して、やみくもに国鉄の路線を強引に誘致してきたということに他ならない。
 その赤字路線が、民営化に際して、次々に切り捨てられ、切り捨てられた路線は第三セクターとして生き残りを模索してきたが、現在まで、その三セクで生き残っているのが果たして何割あるのか。既に大部分はつぶれて消え去って、残っているのは、ほんの一握りに過ぎない。元々利益など見込めないローカル線が生き残れるわけなどないのだ。そういうローカル線を自民党の政治家たちは、次々と作り続けてきた(一部には、野党の政治家もそんなことに血道を上げていた)。

《長すぎたので下に続く》
 

(無題)

 投稿者:ゴンベ  投稿日:2010年12月 3日(金)18時35分18秒
  《上からの続き》

 そして、民主党への政権交代が実現する直前、自民党には何と百名を超す道路族議員がいたことを皆さんはご存じか。私はそれを報ずるテレビのニュースを見て、つくづくと嘆息した。まさにいつか来た道をこの連中はまたやろうとしているのだ。既にその中の多くは実行に移されて来た。採算が取れず、必要性も不確かな道路を、財政逼迫している中で、平気で作り続けようとするこの鈍さと愚かさ。
 不要不急の公共工事。自分の地元だけは、国がいかに貧窮しようとも、予算をかっさらって故郷に錦を飾ることが、国会議員の最も重要な仕事になってしまっているという笑い話にもならない犯罪的愚かさ。自分の地元さえ潤うなら、国がどうなってもお構いなしの議員たち。そして、そういう議員に喜んで投票する国民。ポピュリズムの極み。

 これだけ巨額の国の借金を積み上げてきた元凶は、景気刺激策という名の国債発行に他ならないことは、もう周知の事実だろう。最近の評論家の中には、これらの「景気対策という名の公共事業はほとんど景気の刺激には役に立たなかった」と発言している人が何人もいる。「エー、何だよ、今さら!」などとテレビに向かって叫んでしまったが、我々はだまされ続けてきたのだ。
 建設国債をどんどん発行して、公共事業を続ければ、日本の景気が刺激されて、どんどん繁栄の道へつなげることができる、等という論理は、政治家と役人が勝手にでっち上げてふりまいた幻想に過ぎなかった、ということがやっと分かった(しかし、分かるのが遅すぎた)。つまり、金を使い続けるため、政治家が地元有権者の歓心を買うためのばらまきのための方便に過ぎなかったわけだ。
 私はずっと、公共事業にまつわる利権の問題から、同じ金を使うのなら、将来の日本のことを見据えた金の使い方が、もっといろいろあるんじゃないのかと、苦々しい思いで見ていた。景気を刺激するために使うお金であるなら、何も公共事業でなければならない理由はないはずだと、ずっと思い続けていた。こういう考えを人に話したことは何度もあるが、「公共事業が、もっとも他にも金が回っていく事業なんだよ」などとしたり顔で反論されるのがオチだった。そう言っていた人は、果たして、何をどれだけ知っていたのか、私は今では何も知らないままそういう発言をしていたのだろうと思っている。

 私は年金問題、高齢者問題、所得格差問題と、これからとんでもなく厳しい冬の時代を迎えようとしている現在でも、自分のこととして考えられない政治無関心の市民が山ほどいる現実に、今、上に述べたことがオーバーラップして、打ちのめされたような気分でいる。

 こういう状況の中で、吉野さんは落選し、佐藤さんも落選した。この原因は、佐藤さんや、1000人の会の活動の誤りにあるとはとても思えない。
 私自身は、何ほどのお手伝いもしないでいて、えらそうなことは言えないが、定期的に送って貰っていた「運営会議」や「選対ニュース」を読みながら、どれだけ1000人の会の方々が一生懸命頑張っていらっしゃのかを、ずっと感じ続けてきたからだ。
 この後、1000人の会はどうするのだろう。いっそのこと、中村敦夫元参議院議員が主催していた「緑の党」のように、解党してしまうのか。それもいいかもしれない。
 しかし、吉野さんや今川さんはそんな簡単に諦めるようなヤワな人とはとても思えない(懲りない性分だからなあ)。でも、今回はどうだろう?

 以前、鳴り物入りで参議院議員に立候補しながら、任期の大部分を残して、あっさり議員を辞職してしまった大橋巨泉というタレントがいる。この時は私も「こいつは一体何を考えてやがんのか!」などと怒りを感じたものだったが、彼が最近(でもないか。もう半年くらい前かも)なぜ自分が議員辞職したかを語っていた番組を偶然見てしまった。
 彼が言うには「日本の国民の政治に対する無関心さ、考えのなさなどに直面して、すっかりばかばかしくなってしまったんだ。なんで俺がこんなに無責任で、何も考えようとしない国民のために働かなきゃいけないんだ。こういう国民を相手にして、一体何ができるの?」などと言っていた。その大きな要因が、中村敦夫氏の「緑の党」に、壊滅的打撃を与えてしまった日本国民の選択の愚かさだというのだ。
 私が書いたことは、大橋巨泉の言った言葉そのままではないが、おおむね次のような趣旨の内容を語ったいたと思う。
 「緑の党なんて、ヨーロッバじゃもう確固とした政治基盤を持ってるじゃないの。これからの社会をリードしていく大事な政治勢力になっているのに、日本人は一体何考えているの。中村敦夫のような人こそ、これから日本人が大事に盛り立てていかなければならなかった政治家じゃないか。日本人はどんなに遅れているのかすら分かっていない。こんなの見てると、ばかばかしくてやってられないよ。」
 この言葉を聞いて、私はすっかり度肝を抜かれてしまった。「ははあ、巨泉はただのバカじゃなかったんだ!」
 確かに、彼のやり方はフェアじゃないし、彼に投票した人たちに何と釈明するのかと、怒りに似た感情を持っていたのだが、彼が言ったことは、今まで、私がずっと抱き続けてきた苛立ちそのままと言っていいくらい、共通するものだったのだ。
 改めて念を押しておきたいのだけれど、彼のやり方は決して賞賛されたものではないし、やり方が間違っていると思う。思うけれども、しかし、その本音の部分では、私は強い共感を覚えてしまったことだけは間違いない。
 中村敦夫さんが落選したと聞いたとき、私は信じられなかった。あの時、激しい憤りの念がわき起こり、「もう、日本はダメかもしれない」などと深刻な思いにとらわれたりした。巨泉の言葉は、私の心を揺さぶったあの時の思いを、まざまざと思い出させてしまった。日本人は自分で自分の首を絞めている、という強い思いだ。

 まあ、今は、これからどうすべきかなどということはとても思いつかない。佐藤さんのみならず、吉野さん、今川さんを筆頭に、今回の選挙を中心になって引っ張ってこられた1000人の会の皆さんの胸中を察するにあまりある。ただ無念の思いが募るばかりの昨今である。
 
 

市議会選挙結果  松戸はどうなるのか・・・

 投稿者:青空の五つ星  投稿日:2010年11月22日(月)08時24分54秒
   初めまして。
 市議会選挙が終わりましたが、今後の松戸は一体どうなるのか不安でいっぱいになりました・・・。
 本郷谷市長にすり寄った山中だの原だのが異常に票を集め、かといって保守系は大川氏が落ちたぐら
いで、地元の地盤でほとんど無傷、公明は相変わらずだ。民主党は長谷川や長谷川に籠絡された名木が
落ちるのは当然にしても、党や会派の都合・長谷川に圧力をかけられた森下・磯崎両氏まで落ちたのは
気の毒としか思えない。一時的な新鮮さだけのみんなも票は集めたが、2人では会派は組めないしどう
するのか?他にも市長選で川井を裏切った杉浦や末松、党としても連合にしても一人ぼっちになってし
まった二階堂氏はどうするのか?

 仮に中立の共産や中田、大橋(どこの会派にもはいらないと宣言しているが、どこまで信用できるか
・・・)あたりが味方についても、保守側が多数で結局以前と変わらない市議会。本郷谷側も、「あの」
山中と谷口が合うわけがないでしょう。彼らが今まで議会でどれだけくだらないケンカをしてきたか、
議会を傍聴している吉野さんにはわかるでしょう。

 相変わらず保守系は安泰で、うまく時流に乗っただけの人間が入り残り、良識ある人間がさらにいな
くなった市議会・・・、私は愛する松戸の今後が非常に不安です。
 

たまには気分の高揚するような投稿をしてみたいものだ

 投稿者:ゴンベ  投稿日:2010年 6月14日(月)14時50分37秒
編集済
  松戸市長選挙の行方を、モヤモヤした気分で見守ってきたけれど、結果が出てみても、イライラは嵩じるばかり。

川井が落ちたのは当然といえば当然の結果だろうが、気になるのは、川井の代わりに本郷谷が当選してしまったこと。
もっとも、しばらく前には、ほかに市長にふさわしい立候補者がいるかどうかは、松戸から遠いこの地では、判然としないなあ、
なんてことを思いながらぶつぶつ言っていたら、吉野さんの日誌に「選ぶべき候補者がいない」などという文章が載って、
「やっぱり松戸って所は‥‥。」なんてグチが頭の中でぐるぐる回るだけで、気分は落ち込む一方。

本郷谷は、バックに民主党がついていたから、組織ぐるみの選挙協力で当選できただけのことのようだが、全然面白くない。
なんで本郷谷が民主党に取り入ることができたのかは知らないが、泳ぎ回るのは上手なんだねぇ。

国政の場においても、あれだけの国民の期待を担って政権交代したはずの民主党のこの体たらく。
まあ、初めて政権の座に着いたのだから、少々ぎくしゃくした動きがあってもそれはしょうがないとも思ってもいたが、
普天間問題、政治と金の問題、この大きな2つの問題に限って言っても、
「少々ぎくしゃくした動き」などと言って済まされるものではないんじゃないの?

それと、ものすごく腹が立つのは、松戸市の住民投票条例案を潰した会派の中に、民主党まで入っていたこと。
その民主党のバックアップで市長になったカメレオン・本郷谷。
国政における民主党の頼りなさは、とりあえず置いておいても、あれだけ市民が熱意を持って署名活動に賛同したのに、
それを考慮する能力すらないのか、あっさりと「否決」してしまった松戸民主党の市議を許すことはできない。

だいたい、民主党っていうのは「市民の味方」じゃなかったのか? その市民を平然と裏切る民主党、
国政の場に置いても、こんなことが続くのか?

(※最初の投稿から、少し書き換えました。)
 

この掲示板は役割が終わってしまった?

 投稿者:市外の賛同者  投稿日:2010年 6月11日(金)17時36分0秒
   この掲示板を随分久しぶりで覗いてみたのだけれど、もう2年近くも書き込みがないというのは、一体どういうことなんだろう? この掲示板の役割は終わってしまったんですか?

 吉野さんの考え自体は「吉野日誌」を時々読んだりしていたので、ある程度は分かるんですが、会員の方々は、一体どんなことを感じているのか知りたいな、と前から感じていたのだけれど、この掲示板はその役割も担ってはくれていなかったようで、「会員以外の方の論争なのかな」と思うようなやりとりが何度かあったようだけど、それもいつの間にか立ち消えになってしまったんですね。

 今度の市議選で、1000人の会が推す候補者、佐藤みのるさんという方のホームページやらブログやらがないものかとさがしてみたのだけれど、全く見つからず、すっかり意気消沈で、ため息一つ。

 この掲示板、せっかくあるんだから、会員の方々の議論の場として、活用できないものなんですかねぇ。会員の皆さん、考えてみてくれませんか?
 

マイケル・ムーア監督の“Sicko”を是非見て下さい その1

 投稿者:ゴンベ  投稿日:2008年 8月21日(木)20時23分23秒
   前号か前々号のミニコミ誌「たんぽぽ」に、マイケルムーア監督のドキュメンタリー映画、“Sicko”(シッコ)の紹介が載っていました。それを読んで、仰天してしまいました。この映画は、アメリカの「医療保険制度」がいかに悪辣な営利主義のもとに運営されているかを告発するドキュメントです。アメリカには、国民健康保険や、勤務先で加入する業種別健康保険制度などという、国民全部が加入するというような、皆保険制度がありません。

 映画の冒頭に、その「医療保険」に加入していなかった人が、事故や病気の治療で、とんでもない高額の医療費の請求を受けて、悲惨な運命に見舞われた事例の紹介が出てくるのですが、それはこの映画の本題ではないのです。この「医療保険」という仕組みが実は加入者を守るためにものではなく、保険会社や医療従事者の利益を守るために存在するためのものだということを、加入者が怪我や病気の治療をし、料金の支払いをする段になって思い知らされるという、信じがたい実態、これが本題なのです。
 保険会社は、加入者が医療を受ける段階になると、ささやかな書類の記入ミスや病気履歴の記入漏れなどをタテにとって(医療費が高額だと、被保険者の過去を徹底的に調べ上げているようです)、医療費の支払いを拒否するその手口が色々と紹介されています。いかに悪辣に保険加入者を収奪するか、なんだかんだと難癖をつけて、支払いを拒否する、それが保険会社の最も重要な仕事であるということ、そのために、有能な医者を高額の給料で雇い、保険金をいかに支払わないで済むかの方法を調べさせているのです。
 病気になったり怪我をしたりした保険加入者は、そのバカ高い医療費は保険で賄うことができると安心していると、とんでもないどんでん返しにあってしまう可能性がとても高いということを思い知らされるのです。

 日本でいう「中流」程度の所得の人たちなら、アメリカ国民なら、いざ病気になって医療費を払う段になると、本当に破産するしかないような高額の負担を強いられます。病気になった時にその人を守るはずの保険が、本当にまるで機能していないとしか思えないような状況なのです。アメリカ国民は、もちろん、完璧な書類を提出して、保険会社に難癖をつけられずに済む状態で保険の支払いの恩恵に浴している人ももちろんいます。その反面、割合はよく分かりませんでしたが、この医療保険制度によって、保険会社や、とてつもない高額の医療費のおかげで、ほとんど「搾取」状態におかれている人たちがそれこそ山ほどいるのです。

 この映画を、「たんぽぽ」の記事を読んだときから、ずっと観たいと思っていましたが、私の住んでいる近くでは、上映会が行われていないか、ずっと先の話かで、見ることができないでいました。今度、9月26日には、松戸でも上映会が行われます。そのうち、「イベント掲示板」でもご紹介する予定ですが、その時は、皆さん、是非この映画を観て下さい。
 今すぐこれを見たい人は、ちょっと大きめの貸しビデオ店に行って下さい。私は、いくつかの貸しビデオ店を回って、3軒目で見つけました。大きな店なら、きっとおいてあると思います。しかし、マイケル・ムーア監督の他の作品も見たいと思いましたが、あったのはこの「シッコ」だけでした。

 私は借りてきて、返すまでの2日間のうち、3回も繰り返して観てしまいました。映画を観て、腹が立って、感情が高ぶって、観かえさずにいられなかったのです。国家が国民をこのような劣悪な医療環境に放置しているということへの怒り、自分がアメリカ国民だったら一体どうなるのか、これで民主主義といえるのか、いろんな思いが渦巻きました。
 そして、あることにハッと気がつきました。この映画の中身は対岸の火事ではなかったんだということです。今大問題になっている「後期高齢者保険制度」、まさにこれは、アメリカの医療保険制度の真似をしているのではないかと思われる部分があることに気がついたからです。
 高齢者という、ただでさえ収入が心細くなって、年金だよりでしか生活が成り立たなくなっている人たちに対して、保険金を払うことができなくなれば、保険を打ち切るという血も涙もないやり口、「あとは勝手にのたれ死にしなさい」といわんばかりの悪辣な制度、これを連想させるシーンがちゃんとこの映画の中にも出て来ます。
 病院に入院していて、医療費を払うことができなくなった患者を、病院はその患者をタクシーに乗せて、スラム街の貧困者の支援センター(失業者の支援センターだったかな?)の近くの路上に放り出すのです。靴も履かせてもらえずに、路上に捨てられるのです。「貧しい患者を路上に捨てる」という、信じられないシーンが出て来ます。これはアメリカで現実に行われていることなのです。

 私はこれを観て「あっ!」と思わず叫び出しそうになりました。この後期高齢者保険制度が実現したら、これは日本でも確実に起こってしまいそうな、現代版「姥捨て」です。


 *長くなりすぎてしまいましたので、分割します。続きは下を見て下さい。
 

マイケル・ムーア監督の“Sicko”を是非見て下さい その2

 投稿者:ゴンベ  投稿日:2008年 8月20日(水)22時18分0秒
編集済
  *上からの続き

 そして、この映画には、アメリカとは実に対照的な国、イギリスとフランスの実例が取材されています。両国とも、どのような医療を受けようと、医療費は無料なのです。そもそも病院には、お金を払う会計の窓口というものが存在しないのです。医療費は、保険料と税金で賄われているからです。
 この映画の中で、フランスで仕事をしているあるアメリカ人は「私はフランスで、これほどまでに恵まれた生活をしている(医療の問題だけではなく、教育や子育て支援なども含めて)のに、アメリカに住む両親は、本当に深刻な状況の中で生活しなければならないのです。私はそれを考えると、恵まれすぎていて、後ろめたさを感じてしまうのです」などと発言していました。

 フランスもイギリスも、医療費がただというだけではなく、教育費(大学までも!)も無料、それに子供が生まれれば、公的支援でヘルパーが週何度か派遣されてきます。もちろん、育児休暇も実に充実しています。私は何度も繰り返し見ているうちに、何故これほどまでに国によって落差が大きいのか、深刻な疑問にとらわれてしまいました。今のところ、まだはっきりした回答は出せないでいますが、これは、国民の意識の問題が根底にあるのではないか、という気がしています。

 つまり、国家とは誰のためにあるのか、ということです。国家が、国民のことを真に考えて政治をやろうという姿勢があれば、フランスやイギリスのような制度は実現できるはずなのです。現にイギリスもフランスもそれをやっているのですから。アメリカとは実に対照的に。

 アメリカの現状を「地獄」だとすれば、イギリスやフランスはまるで「天国」です。アメリカは、金持ちにとっては実に暮らしやすい国なのです。マイクロソフトのビルゲイツ氏は、昨年度は所得額で、下から40%の人たちの総所得と同じ額の所得があったそうです。たった1人でですよ! わたしはそれを新聞で読んだ時、富裕な少数の資本家が多数の貧しい人間から搾取している国がアメリカなんだ、と思わざるを得ませんでした。
 いろんなメディアが「アメリカンドリーム」などという、誤解に満ちた言葉をまき散らしていますが、1%の勝者の影に、99%の敗者がいるという現実、これが全く見えてきません。
 この数字はただの例えとばかりは言えません。出典はちょっと古くなりますが、サンフランシスコの南側に広がるシリコンバレーと呼ばれる地に、かつて、それこそ雨後の竹の子のように、ITのベンチャーが起業するブームが続いたことがありました。しかし、現実には、その会社が3年後まで生き残っていたのは、実に1%以下でしかなかったのです。99%の敗者は、どこに行ってしまったのでしょう。実はそのかなりの人たちは、諦めずにまた創意工夫を重ねて、また起業にチャレンジしたそうです。しかし、またもや失敗する―こういう繰り返しの中でどんどん脱落していって、結局成功するのは1%以下、ということになってしまうのです。

 ちょっと脱線してしまいましたが、日本という国が、イギリスやフランスのような制度を実現できないのは、真に国民のための政治とは何であるのかを、政治家も国民も考えようともしないし、政治家はアメリカの方しか見ていないからなのではないかと思っています。
 アメリカの言いなり、これほどまでにひとつの主権国家が、他の国の言いなりで政治を行っているという例は他にはないんじゃないでしょうか。だから政治のやり方も、アメリカを手本にするという発想しか出てこないのではないかと疑っています。
 そして、国民は、日本の政治が自分たちのために行われているのではないということに気がつかないし(気がついても何も言わない)、気がつこうとしないからなのです。
 私は、国民の中に未だに「政府はお上」だという意識が抜けていないんじゃないかと考えています。

 国民が本当に安心して暮らしていけることを実感できるなら、少しくらい税金が高くたって、それが自分たちのために還元されるんだということがはっきりしていれば、問題はないはずなのです。
 払った税金がどこでどのように使われているのか分からない。不要な公共工事が、相変わらず継続されている国。小泉「改革」でかなり減ったとは言うものの、相変わらず公共事業に群がる政治家と役人たち。
 かつて参議院議員だった中村敦夫さんは「日本の政治は、『サンゾク』に支配されている。すなわち、建設族議員、建設族官僚、建設業者、これが三賊だ!」と、叫びました。

 こんな国家の政府が税金を上げようとしたとき、誰が納得してそれに従うことができますか? 誰が『このお金が自分たちの生活を保障してくれるお金になる』と安心して払うことができますか? その他にも、裏金問題、天下りのための不要な特殊公益法人、挙げていくときりがないほど、国民をだまして役人や政治家が税金に群がる仕組みだらけの国、ニッポン。

 ブッシュの圧力とそそのかしに負けて、小泉政権は、アメリカ型小さい政府をめざして、改革とは名ばかりの色々な改悪を行いました。医療行政もその中に入っていたのですね。「弱者切り捨て」とはどういうことなのか、この映画を観て下さい。この中に、その赤裸々な真実が映し出されています。
 大きい政府とか、小さい政府とか、それ自体が大問題であるかのように、小泉は叫び続けました。多くの国民はその威勢の良さにコロリとだまされて、アメリカ型医療制度とまでは行かなくとも、それ近いものに向かって、日本の保険制度は坂道を転げ落ちようとしています。それを食い止めるのは、まさに国民の意識にかかっているんだということを、強く思い知らされた映画でした。

 ついでながら、ヒラリー・クリントンは、上院議員になりたての時、この医療制度を改革しようとして、先頭に立ってその運動を始めようとしたことがあったそうです。しかし、それは、上院議員の4倍の数がいるという医療関連企業のロビイストたちによって、そして、医療業界から多くの献金を受けている多数の議員たちによって、潰されてしまいました。それ以来長い月日の流れる中で、ヒラリーはこの医療制度改革については、二度と触れようとしませんでした。何のことはない、ヒラリー本人が医療業界からの多額の献金を受けるようになってしまっていたのです。
 ヒラリーだけではありません。アメリカの多くの議員たちは、医療業界からの献金を受け(ちなみに最も献金を沢山貰っている人がブッシュ大統領本人というありさま)、誰かがこの問題を蒸し返せば、直ちに潰される体制が整っているようです。いつまでたっても、アメリカの医療保険制度が改革されることはないでしょう。

 随分長くなってしまいました。皆さん、この映画は、アメリカの現実のドキュメントではありますが、明日の日本をも映し出しています。他人事ではない、ということを理解して、ごらんになっていただきたいのです。
 

軍国主義を推進する日本政府の別働隊

 投稿者:自由主義者  投稿日:2008年 6月13日(金)02時30分52秒
  軍国主義を推進する日本政府の別働隊

http://japansconspiracy.hp.infoseek.co.jp/0202/p004.html#page127
 

マンデラの名もなき看守

 投稿者:病弱者  投稿日:2008年 6月10日(火)07時56分38秒
  吉野日詩に映画のことが出るなんて珍しいですね。「光州418」も良かったですが、「マンデラ・・」も良かったですよ。もう上映は終わってしまったかな。「靖国」はこれから(千葉では614から千葉劇場)見ようと思いますが、あまり期待はしていません。614から岩波でやる「花はどこに行った」は楽しみです。市制にはまるっきり関係ありませんね。沖縄県議選よかったです。吉野さんもこれからでも県議を目指したらいいのに。  

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